書くことがなくて困っている。困るといっても物書きでもない私が書かないことで収入が著しく減少するということはない。全くない。私の言葉でアフリカのとある地域で飢餓に苦しんでいる子供が救われたり自殺を思いとどまる中学生がいるわけでもないので何か書かなくなったからといって誰かが困るということもない。筆の遅い私が何か書こうと思うと2時間くらいはあっという間に過ぎてしまう。その間パソコンを起動させている時間分の電気代はかかるし画面を注視しなければならないので目には良くない。それに目が疲れてくると肩も凝ってくる。そう考えると何も書かない方がかえっていろいろと好都合なような気もする。
普段私たちが物事を見聞きしたり認識しているときに用いている思考の枠組みは非常に限定的なものである。我々はあらゆる世界認識の際にどこまでが現実でどこからが非現実なのかを無意識のうちに境界線を引き、そうすることではじめてあらゆる事象を認識可能なものとして立ち上げることが可能になる。その「世界の切り取り方」は自分が知らない間に無意識に採用したものであるからそれを変更したり修正したりするのは非常に難しい。なぜならそれは変更しようにもいつどのようにどこで採用したのか分からないしさらには採用したことすら知らないので変更のしようがない。