2.6.09

「異邦人」

「異邦人」(カミュ/新潮文庫)を読む。以前読もうと思って購入したものの、読まずに本棚にあったのだが、映画「殯(もがり)の森」(監督・脚本:河瀨直美/出演:うだしげき・尾野真千子)を見て本棚から出した。

主人公ムルソーは意味のないことは喋らない無口な性格の青年。何か言葉を発しようとしてもその言葉によって特に何か起こるわけでもない意味のなさぬことだと感じると口を閉じてしまう。
彼は母が死んでも涙を流すこともなく、その翌日には海水浴に行き、女と関係を結び映画を見て笑い転げる。
あるとき彼は友人レエモンの女性問題に巻き込まれ一人のアラビア人を銃で殺してしまう。
逮捕されたムルソーは母の死の翌日の行動を理由に検事から冷酷で非人道的な人間だと判断される。しかしムルソーは証言の内容にウソがないことを理由に反論は全くしない。唯一動機について「太陽のせい」とだけ答える。
結果ムルソーは斬首刑を言い渡される。
その後残された時間が僅かとなったムルソーは、面会に来て神を信じることの大切さを説く司祭を怒鳴り散らし追い出してしまう。
留置所の中でムルソーは今もなお幸福だと悟り、そして処刑の日に大勢の見物人が集まり憎悪の叫びをあげることを最後の望みとする。

しかしムルソーは決して狂気に満ちた男ではない。冷静な行動を心掛け、雲の流れに思いを寄せ、仕事のお昼休みを楽しみにする男である。そんなムルソーに対して検事は死刑を求刑する際こう述べる。
「私はこの男に対して死刑を求刑します。そして死刑を要求してもさっぱりした気持ちです。思うに、在職もすでに長く、その間、幾たびか死刑を要求しましたが、今日ほど、この苦痛な義務が、一つの至上の・神聖な戒律の意識と、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして私の感ずる恐怖とによって、償われ、釣合いがとれ、光をうけるように感じたことは、かつてないことです」
このセリフには恐怖に似た違和感を覚えた。検事は己に全く否がなく、主張には矛盾がなく正義に満ちていることを確信し、死刑を求刑することで「さっぱりした気持ち」になり、さらには「光をうけるように感じ」ている。
この検事は過去、他の事件でやむを得ず死刑を求刑し苦痛を受けることもあったようだが、少なくともムルソーに対してはそのような苦痛を感じてはいない。つまり人に死を与える決断は「積極的」に選択されるべき状況も存在するということらしい。

自分が純真無垢であることを疑わず、「純真無垢な正義」を背に実行する行為そのものが残酷で非人間的な「忌むべき邪悪なるもの」であることは吟味しない。それは邪悪なるもの同様あるいはそれ以上に恐ろしいことのように思う。
「純真無垢な正義」という選択に際しても、自分自身が「忌むべき邪悪なるもの」ではないかという可能性を思慮し、ためらう感覚があって当然なのではないか。