感じたことを表現するのに適当な「言葉」が見つからないことが多い。当然のことだが「嬉しい」といっても、そこに含まれる感情、思いは人によって異なるし、同じ人物であっても状況によって異なってくる。
それならと無理に感じたことを言語化する必要はないのではないかと思い始めていた。「言葉」にすることで複雑で変化に富むはずの感情、思考が限定、固定されてしまうのは本意ではないからだ。そのせいか自分のノートには言葉より下手糞な絵やダイアグラムのようなものが多く登場する機会が増えていた。
しかし一方で言語化することで見えてくることもあるのではないかと最近思うようになった。漠然として掴み所のない感覚が、正確ではないかもしれないが言葉を与えることで輪郭が少しくっきりしてくる。そのことが次の段階へと思考を進めていく際の手がかりになってくれるのではないだろうか。言葉として表現したものが自分の感覚と大きくずれていたとしても修正は十分に可能だ。
言葉にするということは「私」という誰もうかがい知れないブラックボックスの中にあった感覚を外に放り出すということだ。外に出された感覚は同じ小説を読んでも読む人によってその解釈がそれぞれ違うように、人によって様々に捉えられる。その結果漠然とした感覚がより強化されることもあるだろうし、新たな感覚を生み出すきっかけになるかもしれない。
7 件のコメント:
完全に共感するね。
俺も最近よく思うことだわ。
言葉にしたとたん、いろんな雑感みたいなものが削ぎ落とされて、チープになる。
その一方で言葉によって発展するものもある。
思うに、言葉は一つのツールだから、それによって他人と自分の考えてることの一部かもしれないけど共有できるし、それによってデザインが構造的に進んでいく(たとえ一人でデザインしてたとしても)。
だけどやっぱり言葉は強いから、一度言葉にしちゃうと頭の中で考えてることが固定化されちゃう恐れがあるよな。
だから言語化を急じゃだめだと最近は思ってます。
スケッチですら頭の中のイメージを固定化しちゃう恐れがあるんじゃないかと思うこともあるわ。
だけど言葉にし難い状況ってのは、良いことなんじゃないかと思うわ。
鉄平がそれだけ大きなものを感じているということだし、より豊かな気がするで。
インテリっぽく自分が感動したものごととか、考えてることをなんでも器用に言語化しちゃう人よりは信じれる。
「伝えきれなさ」みたいなものがあっても良いんじゃないかと思う。
言語化するかしないかって極端すぎる話だと思うわ。設計するのにお金はいるかいらないか、どっちかしかねぇのかよ!みたいな。
人に物事を伝えるときに、言語化って言い方がすごく不粋だと思う。
例えば
会議の場でビジネス文書で恋の気持ちを言語化して伝えなさいというのはやめてくれだが、
タイミングのいいときに素直に思うままにあなたの気持ちを伝えなさいなら十分伝わる。
言ったらいい言ったらだめ、言わないほうがいい文字にしたらそれ以外ないとかそういうのは極端すぎて。
何かを表現するのにふさわしい自分の言葉を身構えないで自由に選べば良い。
「言語化」なんつって自らの思考まで縛らなければそれでいいと思うのです。その単語自体がこたえを縛り付けてる。
どう?
>バードさん
相変わらずのノリつっこみでのコメントありがとうございます。
確かにスケッチですらイメージを固定化してしまうかもしれないですね。
おそらく、今にも消えてしまいそうな自分のイメージを記憶しようとするときに、言葉よりスケッチとかの方が、余白というか曖昧な部分が残されている気がするから頼ってしまっているんだと思います。
大きなものを感じているのであればいいんですけど、ただ五里霧中のような感じもしますが。
>toru
言葉にすることが良いか悪いかを言うつもりはないよ。
コミュニケーションの手段として「言葉」ってすごく重要で、それなしでは成立しないのは確かだから。
それでも自分の考えてることを言葉、特に文字やこの場合スケッチとかも、具体的な表現になる分、自分の思考に対する影響力が強いんだと思う。
言葉が必要か不必要かといわれたら建築にかぎらず全てに必要だし、
ただ、考えるための言葉と伝えるための言葉と意味を持たせる言葉を使い分ける
みたいなことを今思いついた。
バーとさんてヒロさんですか
君が伝えたいことは、誰も代弁できないのだから、君が必要と感じたことは、コトバにすればいい。
それが下手糞な絵でも、ちょっとオーバーなジェスチャーでも、伝えたいと思う気持ちが大切なんだ。
みんなが君を見ているよ。
僕も、君に伝えたいことがあるんだ。
ありがとう。
君が心を開いてくれたこと、それは君だけじゃなくて、僕らにとっても大きな一歩だと思うんだ。
そうだろう?
本当に相手が知りたいと思った時のみ、伝わると思います。コミニュケーションの場合。
熟考のばやい、言葉にできないのは、そもそも自分が言語以前の理解をしてないから。あと言葉足らず。稀にそういうイメージを言語化できる日本語がないってこともあった。そういうときには造語です。ほらジャミジャミとか。イメージはすごい情報量だらかね。まだまだ生まれてないことばはあると。
だけども、かっこいい、かわいい、で動く世の中はあって。
して、「愛してる」だけでこと足りることってあって。
今のところ、ぼくはそう思ってます
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