以前書店で立ち読みしたBRUTUSの特別号に紹介されていた、Gregory Colbertというアーティストの写真が妙に気になっている。聖典らしきものを読む少年の前で一頭の象が跪きじっとしているというような構図だったが、言葉も通じず種も違う両者がただ近くに一緒にいるだけでなにかとても重要なコミュニケーションが果たされているような印象を受けた。
だから私が思う優れた作家というのは、多くの人の「誤解」を可能にする人のことだと思う。「なるほど、この作家がこの作品を通じて表現したかったのはこういうことか。」と暫定的に解釈する。しかしどこかの段階でそれが恣意的解釈なのだということに気づいたとき、今度は自らがなした解釈を疑う。「いや、俺なんかが思うような安易なことは、この作家は考えないはずだ。もっと深い、隠されたメッセージがあるはずだ。」とさらなる恣意的解釈を試みる。無知のスパイラルの完成である。そこには常に自分が今立っている場所からは見ることの出来ない「無知」が存在する。いくら解釈を試みても「まだ何かメッセージがあるはず。」という思いに駆られる。
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