29.11.08

「眼」

先日、宮城大にて行われたA_tという勉強会に参加してきました。初めての企画で白熱した議論とまではいきませんでしたが、次回に向けていいきっかけになったと思います。

僕にとってアートは新たな価値観を与えてくれるきっかけとなる情報のひとつだと思っています。そういう意味では小説やエッセイなんかも同じ情報のひとつです。
ウイルス学者の河岡義裕はウイルスを研究する理由として「別に正義感でウイルスの研究をやっているわけではありません。ただ世界が今までと全く違ったように見えるときがある。それが楽しい。」というようなことを言っていました。
僕がアートを見たり、本を読んだりするのは知識を得ることよりも、そこで得た知識を踏み台にして今までと違った見方の出来る「眼」を持ちたいからだと思う。


3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

いやぁ、あえてアンチアーティスト

見解を広げる情報、それはいい。
んでも最近あれじゃない?現代アート?
しょうもない謎のオブジェ作ってさ「普段我々がきづかないことを~~~」とかいって不快なもんとか迷惑なもんつくってさ。「なんでもアートです」とかいうのは俺全否定するわ。あえて。詐欺だぞあれ

その論理でいけばテロリストも騒音おばさんもアーティストですよね、とてもいい演技者ですよね
騒音おばさんとノビ兄貴何が違うんですか

いや、極端な話「ロックだ」とかいってビル爆破したとして、それがたとえばオアシスとかだったらみんな「かっこいい~」とか言うんですかね

僕はもうそういうのアホかとしか言いません。不快かどうかは紙一重だけどね
下手なもんをアート認定すんなと。

「現代音楽」もアホかと言いたいよ。俺は

Unknown さんのコメント...

てなことをみんな半分思ってるはずなのに、そういう立場の人がいないのもおかしいと思うんですよ。

腐った死骸とか展示して「生への気づき」とか言われたら俺たまったもんじゃないですもん。

で、そういう論争を引き起こしちゃうこと自体現代アーティストの思う壺だから、一番のアンチテーゼはほんとは
「スルー」

脱線したね

匿名 さんのコメント...

すごくいいことだと思います。ウィルス先生を尊敬できます。学者の鏡だなー。ただ、目的として知識を得るってことは、意外と異なる視点を持つってコトとあまり変わりがない思ってるんだよね、僕ぁ。その知識がいつ展開してくのか未定なだけかも。そういう考えだったら楽しいのもを、屁理屈言わずに楽しめるし、感動も率直なものになるかもしんないって気がする。
ただ知識だけ得るってすごく難しいことなんじゃないかなと