自分への戒めとして
頭の中にあるモヤモヤとしたイメージを過不足無く正確に言葉にすることはすごく難しく、そもそもそんなことは不可能なのかもしれない。だからといって自分の中に閉じ込めていても思考は自分の狭い枠組みを超えて発展することはなく、固定化されてしまう。脳はそれほど有能ではないらしい。
言葉にして初めて気づくこともあるし、そこから思いもよらないところに思考が飛躍し、新たな視点を得ることもある。そんな期待も込めてこのブログを始めたけど、最近はまた言葉に捕らわれてしまっているような気がします。
エクリチュールが自由であるのは、ただ選択の行為においてのみであり、ひとたび持続したときには、エクリチュールはもはや自由ではなくなっている。(『零度のエクリチュール』ロラン・バルト)
言葉はある瞬間の思考を表した記号に過ぎず、その一瞬の後は言葉は何にも属せず独立した存在となるため、言葉に執着しても仕様が無い。
6 件のコメント:
何か具体的な体験とか書いてくれたらもっと楽しいブログになるんじゃないかなー。
こんなことあったよ。
で、こんなこと思ったよ。
と、いうような。
おはよう、最近は脳の退化を実感しています。
現実の体験からしか考えられない人と(深くね)、想像の中でも体験できる人と(具象化ね)がいるらしいよ。のだめでRuiがいってたから、確かだよ。だから、
「そうだ、京都に行こう」とか、
「書を捨て町へ出よう」とかいったのもー!
カモン、パロール!
>sugi
具体的な体験を踏まえたうえで書いてたつもりだけど、確かにちょっと抽象的になり過ぎてたかも。
具体的事実を具体的に書くことも大切だな。
>元気
Ruiって誰?
寺山修司は読んだこと無いから、今度読んで見るよ、多分。
ファイニンガー!!!!
オレも行こう。
家の近くに「千彦」って居酒屋ができたんだが・・・・・
>yoshida
ファイニンガー!!!
良かったよ。
>toru
「千彦」行ってきて。
そんでその報告もお願いします。
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