19.12.10

孤独について

自分は孤独だと思う。そんなこと人が聞けば笑うだろうし、そんなのは思い違いだと言うかもしれない。しかし孤独とは友人の多寡や配偶者の有無など客観的指標でもって形式化できるものではないし、他人と比較してどうこうという問題ではない。孤独とはあくまで“自称”で誰かの承認を必要としない。当人が孤独であると思えば孤独なのである。

「言わなきゃ分からない」と主張する人がいるがそういった人々に「言えば分かるのか?」と問いたい。言葉や会話を介してのコミュニケーションは確かに重要なことではあるが、言葉もコミュニケーションの手段のひとつに過ぎない。些細な表情や仕草、息遣いやさらには身に纏うオーラなどを読みとることで成立する沈黙のコミュニケーションだってあるのだ。それを考慮せず言語コミュニケーションの重要性ばかりを強調する人のコミュニケーション能力は疑わしい。

自己とはその中に他者を抱えるということによって成立する。自分の中に他者の目を持ち込むことによってはじめて思考し自我を得ることが出来るのだ。しかしその「自分」という他者が考えていることも理解できず、言語化することすら儘ならず結果「自分」自身からも孤独になってしまう。

だからといって絶望するのではない。分からないながらもここにこうして書き記すように何とか「他者」と交わることは出来るのだ。分かってもらえないということの向こう側に分かるということがあるのだ。その難儀な作業を行うことが出来るのというのが「人間性」のひとつであるように思う。

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