4.9.09

訳の分からないもの

訳の分からないものになりたいと思う。別に奇人・変人とかそういうのではなくて。

自分の現在持っているものさしでは決して計量することの出来ないものが、多くあるはずである。それこそ無限に。
しかし今それは見ることすら出来ないし、仮に見えたとしてもそれが自分にとって有益をもたらすものなのか分からない。自分のものさしで測り得るものではないから。

なにかと理由を付けてそのものの有益性を語ろうとする時点でそれは現在自分の持っているものさしで測ってしまっている。そのような解釈は比較的ストレスなく行われ快適であるが、そこで選択した一見中立的で普遍性をもつと思われることも、すでに予断や偏見が多く含まれている。そういった意味では真に中立的で客観的なものはない。我々の行う解釈は本来複数の読解可能性を有しているもののうちのたったひとつを自動的に選択してしまっている。そのことを絶えず意識しなければならない。さもなければ解釈の貧困化のプロセスを歩むことになる。

訳の分からないものをどこにも着地させず宙ぶらりんのまましておくことがあってもいいと思う。
そういう訳の分からないものは事後的にその理由を発見できればいいだけなのだ。

0 件のコメント: