9.10.08

独りよがり

自分が何か作ろうとするとき、その動機は「面白そう」というのが第一で社会的役割とか社会に与える影響などはほとんど考えていない。だから説明を求められても「面白そうだから」としか言いようがなく、どのように社会(というのは大げさかもしれないが)とリンクするのかがわからない。

もちろん動機として「面白そう」というのは悪いことではないと思うが、その面白さを共有してもらうための言葉やストーリーを持たないのでは単なる独りよがりになってしまう恐れがある。独りよがりではいつか行き詰まってしまうと思う。それらしい言葉を取り繕って説明してみても見破られてしまうし、自分自身もどこか腑に落ちないのである。

その原因は自分自身まだ社会というものを身体感覚として経験できていないということが大きいと思う。社会を経験するといっても別に経済の動向や政治のシステムを知るということではない。もちろんそれらも無視することのできない重要なことではあるが、それよりも日常を取り巻く小さくとも複雑に変化する様々な現象を肌でリアルに感じることが必要なのではないか。

それからブログがあまりにも味気ないので、ちょくちょく写真を載せていきたいと思います。
ちなみに載せる写真は本文と関係があるわけではないです。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

早く言いたいことを気持ちよく言えるときがくるといいね。

匿名 さんのコメント...

鉄平のいう「面白そう」って他人の中、もっと言えば社会の中にはないの?
かなり個人的な「面白そう」なの?
それも必要だと思うけど、やっぱりデザインの面白さは自分以外とのコミュニケーションにあるような気がします。
最近は自分の中からだけ出てくるものなんかしょうもないと思ってます。
それよりも他人とか周辺の物事から「面白そう」を引き出していくことが重要なんじゃないかと考えてます。
そう考えると自分の中の「面白そう」を雄弁に語れるようになる必要はないんじゃないかとも思う(ちょっと極論だけど)。だいたい「これって面白くない?」とか言って自分の事を話す奴って大体面白くないしな。昨日見た夢の話とかされても分かんねぇよって。
でも矛盾するように聞こえるかもしれないけど、やっぱり最初の動機は自分の中から出てくるのかなって気もします。
それを言葉にするのは難しいよな、イメージだから。

Inomata Teppei さんのコメント...

>sugi
俺はそんなにひねくれてるように見られてるのか?

>soさん
自分の場合「面白そう」ってのはほとんどが自分以外のどこかにあることが多いですね。
建築はもちろんだけどだけど、何か体験したときにその中に考える際の手掛かりみたいのがあって、それをもとにこれって「面白そう」なんじゃないかって思うようになる。元々は社会的なものであっても自分の中で翻訳される過程で社会的要素みたいのがほとんど無視されてしまっているから、周囲との関係を持ちづらいものになってしまってるんだと思います。

匿名 さんのコメント...

いや、思ってることを口に出したときに、どうしても自分で言ったことに満足できないクチでしょ。
なんかちょっと違うんだけど、うまく言い表すことができるボキャブラリーが備わってないっていう。
僕もなんですよ。

匿名 さんのコメント...

youの「面白そう」てのに自分が自信を持ててないんじゃないの?アッシの周りの面白そうに話している人の話は実際、面白いよ。そしてきっとその「面白そう」は経験的観測だと思うから、その基準を作っては壊し、価値の創造をすることが大事なんじゃないかなと思います。
まぁ、てっちゃんの面白い話は大概面白いよ。

Unknown さんのコメント...
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