OMAは設計を進める際、過去の事例など膨大なデータを集めそれをもとに入念なリサーチを行う。その上でクライアントから提示されたプログラムが果たして適当かどうか見直し、新たな独自のプログラムを提案できないか検討する。そして十分なデータに裏付けされた新たなプログラムを実現するためにはどのような建築がふさわしいのか考える。このように書くと演繹的に設計が進められているようだが、そうではない。
重松さんが意識していたかかどうかわからないがレクチャーの中で何度か「強引に」とか「少し無理やり」というようなフレーズが登場した。プログラムを書き直すときや建築の形態などを決定する際、それまでのデータから離れた恣意的ともいうべき「強引な」操作が加えられる。この「強引さ」がクライアントの要求を超えて、プロジェクトに新たな可能性を生みだすことにつながる。
演繹的に考えていくとどうしても受身になってしまう。能動的に考え、思考をジャンプアップさせるにはある種の「強引さ」が必要なのだと強く感じた。しかもその「強引さ」は単なる思いつきではない。背景に膨大な量のデータと入念なリサーチがあるからこそ生まれてくるアイデアなのだ。だからこそ説得力をもつ魅力ある提案が出来るのだろう。
7 件のコメント:
でかい建築をハンドリングするのに想像を絶する難しさを体験した後に
OMAという現実が逸脱しすぎて把握できない。
すげえおもしろそうじゃん。
うらやましいな。
結構貴重なやつだったんじゃない?それ。
うらやましいな。
やばいね。それ。ついに登場かー。うらやましすぎ。
しかもその強引さ。美しいですな。
>toru
リアルに建てる行為を体験をすることで、分かりかけてたことがかえって分からなくなってしまうことってやっぱりあるんだろうな。
分からなくなるのは怖いけど、新たな視点を獲得できたことの証拠かもしれない。
>sugi
良いだろ。でも東京にだって面白そうなイベントはちょくちょくあるでしょ。
>todo
ついに登場したよ。
重松さんの言う「強引さ」には何か軽やかな感じがあったなぁ。
すっかり忘れてた、てつログ。
しげまっつぁんについてくわオレ。
うそをつかない人だろうね、きっと
日本の若手とは一線を画す感じだよなぁ
くわばらくわばら
九州大だったんだ。
地方大の出でもいろんな可能性があるんだなぁ
考えを改めないと
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